滅多に連絡してこない弟から、母のことで電話が入る。
何事かというほど、怒っている。
母がスーパーの駐車場で、車をバックさせた際に、
他の車に軽くぶつけてしまったらしい。
前にも同じ事があったらしく、免許返納させてほしいと、
私からも言うようにと、すごい勢いだ。
その後の母からの電話によると、弟からも父からも、
ひどく怒られたらしい。
大丈夫?と聞くと、そのときは大丈夫と言っていたけど、
翌々日に電話があり、母の愚痴が止まらない。
事故した私が悪いけどと前置きしたあとに、
弟が事故現場に来てくれなかったこと、
孫たちの前で、ひどく母に怒り散らしたこと、
父が忘れっぽいこと、何もやらないこと、
泣くほど歯茎が痛み顔が腫れ上がったのに
誰も何も言ってくれなかったことなど、
話が飛んで、貯め込んでいた不満が爆発して、
荒々しく、これまたすごい勢いで投げ込んでくる。
咎めのエネルギーが家族の中で渦巻いていて、
ついに収まりきらなくなって噴出し
私のほうに流れ込んできた感じだ。
母の愚痴は聴けるようになっているのだが、
今回ばかりは、そのエネルギーに体がしんどくなる。
車をぶつけたことに対して、弟の言うことは、真っ当だ。
気持ちもよくわかる。
ただ、その激しさは何だろう。最初に感じた違和感。
本人が一番動揺し、心痛めているのだ。
それ以上叩きつけるなんて、不要な行為。
免許については、本人と共に考えていくことだ。
いやいや。
実家で暮らした年月より、
結婚してからのほうが長くなったおかげで、
又、トレーニングのおかげもあり、
怒ることに自然と違和感を感じたけれど、
もし私が実家で暮らし続けていたなら、
弟同様に母を怒っていたのだろう。
実家で暮らしていた子ども時代は、
こういう場合、必ず怒られていたのだろう。
その咎めのエネルギーの中で暮らしていたと思うと、
体がズシリと重くなり、体調不良に陥りそうだった。
そして、こんな咎めのエネルギーは、
今、私の実家だけではなく、いたるところで渦巻いている。
もっと暴力的で、もっと追い詰めるようなエネルギーも。
実際に現在起きている戦争もそうだし、
テレビやSNSでもそういったエネルギーが存在する。
世間で当たり前になり、それゆえに今、
各所でヒートアップしている気がする。
しかし、そんな闘いのエネルギーは本来不要のもの。
その咎め合う奥には、何があるのだろう。
見えていないものを、見つけられることができたなら、
着地ができるのではないだろうか。
弟も母も、大事なものは同じだと思うのです。
咎めから、本来の温かいエネルギーに
どうか変換できますように。
ファシリテートするために、会いに行ってこようと思っています。
追記.
例えどれほどの正論であっても、怒りのエネルギーを受けると、反抗心や恨み、これまでの不満や理不尽さ等、ネガティブエネルギーがあおられるかのように生まれ、反省の気持はどんどん埋もれてしまいます。怒って反省を促すのは、不可能だとつくづくわかります。