一見、正義にも正論にも聞こえる、道徳的な意見を押し込まれたとき、
それでも、どこか、何かがおかしいなと思うけれど、
相手の正論ぽい理屈に対抗する、言葉を持ち合わせていないとき、
心を痛めつけてしまうことがないように、
心を守ってほしいと願います。
そして、自分自身も、それを周りの人に押し付けないように
注意しないといけないと感じています。
正しいと思うことこそ、
単に、自分の育ってきた家庭の中での良心の可能性があり、、
単に、自分が所属するグループの中での正しさである可能性があり、
単に、自分が生きてきた地域や国の中だけで通じるものの可能性があり、
つまりは、家庭やグループや国や時代が違えば、
変わることで、
絶対的なものなんて、何もないのかもしれません。
自分が絶対的だと思うことこそ、疑ってみる必要があるかもしれません。
絶対的ではない正しさで、誰かを責めることがないように、
絶対的ではない理論で、誰かに責められることのないように、
自分の心も、相手の心も、守りたい尊重したいと、
強く、思います。
どうか、心を守っていきましょう。
不要に傷つける必要など、何一つないのです。