母の愛とは、なんぞや
と、そんなことは、あまり考えたことはなかったのですが、
義母を見送ったときに、
義母のそれを、感じさせてもらった気がします。
気がしているだけで、
確かなことでは、ありません。
ここから、書き留めておくことは、
話半分と言う感じで、
読み流してください。
セラピーやワークを体験したことがある人は、
何となくわかってくれるかと思いますが、
場の力を借りて、
ワーク中に登場する、その人の位置に立つと、
不思議なことに、その人の感覚や感情を
自分の中で感じることがあります。
そんな気がする・・・だけかもしれませんが、
確かに自分の感情や感覚でないもの。
その力を借りて、ワークをするという体験を
私の場合、トレーニングやワークショップで
してきました。
これが、前提としてあります。
義母の葬儀の日、
私は義母の靴を履いていました。
意図したわけではなく、
我が家で保管していた義母の靴を
うっかりものの私が、
たまたま持って行っていたのです。
最後、本当に最後に、義母を見送って、
館内を、義兄と夫を先頭に親族みんなで歩いていたとき、
私は義母の遺影を胸に抱き、
義母の靴を履いて歩いていました。
歩いている途中で、
突然、本当に突然、
私の感覚ではないものが
ぐわっと、やってきたのです。
義兄と夫の背中しか見ていません。
他の誰をも見ていない。
2人の背中だけに焦点が当たります。
そして、シンプルに4文字、
「よかった」
と、
ああ、よかったと、
感覚というか感情というか、
なんともいえない温かい気持ちと安堵感が
湧きあがり、
気づけば館内から外に出ていて、
それが、
空に、ふわっとあがっていくような、
青空に溶けていくような、
不思議な感覚。
胸が熱くパンパンなほどいっぱいで、
涙が驚くほど溢れていました。
母の愛だ・・・・
最後の一年、
コロナで会わせてもらえず、
会いにも行けず、
義兄も夫も、いろんな想いを抱いていたと
思いますが、
義母はおそらく、そんなことは何も思っていない。
ただただ、息子たちが立派に成長した、
頼もしい背中、
ただ、それだけで嬉しいのだと
それで十分であり、
最大の喜びなのだと、
命をつなぐ母というものは
そういうものなのだと。
そんな気がしただけかもしれない、
私の無意識が勝手につくり上げた物語かもしれない、
などとも思い返すのですが、
どちらでも良いのでしょう。
真髄・・・というのか
軸のようなところに、体感覚的に触れたようで、
それが、とてつもなく
ありがたく温かい体験だったのですから。
義母に最期に最大のプレゼントを頂いたと
勝手に思っております。
感謝しかありません。
本当は、書くつもりはなかったですし、
すぐにこの記事は消すかもしれませんが、
母親として日々、本当にがんばっている皆さんと、
もし何か共有できるものがあればと思い、
ここに記しました。
タイミングが合って、
読んでいただいた皆様
このご縁に感謝です。